2009年6月24日 星期三

HIS日帰りバスツア

和上學期的會話趴呢美帆參加HIS的Bus Tour。行程是:

5種のフルーツ食べ放題&干物つかみ取り!夏の房総 豪快海鮮どんぶり&あま~い白とうもろこし収穫

房總就是指千葉縣。簡單來說就是一個在千葉縣大吃特吃的行程XD一早八點四十分新宿集合出發,首先第一站是叫做海ほたる的地方,位在橫跨東京灣的アクアライン(連接神奈川縣川崎市和千葉縣木更津)大橋上,是一個可稍作休息的停車場兼綜合商場。在五樓以大海為背景拍張照後,下一個行程是一個叫小泉酒造的酒藏造酒場,在那裡試喝各式各樣的日本酒和燒灼。和美帆直呼一大早就喝酒實在太誇張了但還是試喝個不停。接下來終於的中午正餐時間。巴士帶我們到富津的一家日本料理店享用有七款不同種類的海鮮動。午餐後依然是美食行程,我們到了一個白玉米田試吃以及免費每人摘一根白玉米。白玉米意外地甜份很高不輸黃玉米。不過回巴士時日本太太們直說採到的白玉米太小。採完玉米我們到一個當地地產地銷的銷售點,先進行五樣水果吃到飽──西瓜、香瓜、奇異果、日本小葡萄、香吉士。日本人真的好客氣,每樣都吃了一下就歇手,最後還剩不少水果,我心想要是台灣人一定會用快一倍的速度清空吧。水果吃完試吃有花口味的冰淇淋,最後還讓我們一把抓干物甘魚帶回家!美帆說干物要用有烤魚網的鍋子處理,不過我沒有那種東西阿,現在干物還在我的冰箱裡。本來行程中有要參觀向日葵花田,不過好像錯過季節,所以臨時取消。天氣方面,其實從採玉米行程就開始下雨,在農產品銷售點時變成傾盆大雨,在東京好像還沒碰到這麼大的雨呢!接下來從金谷搭遊輪到神奈川的久里賓,一路上天候不佳海面一片霧濛濛。到達九里賓之後就換搭巴士六點半左右回到新宿。

HIS的巴士行程整體還不賴,不過中途巴士有發生小意外,司機轉彎沒看好後面,車尾撞到大柱子,後車燈整個被撞掉。HIS的解決方法是立即調另一台巴士接我們接下來的行程。除此之外整個行程雖然有添乗員,但只是告訴大家接下來的行程是什麼解點幾分集合。之前參加過HATO BUS是GUIDE,不只鉅細靡遺的介紹所有景點,沿途經過的路線和建築也都一一介紹歷史。美帆一開始就說在他的觀念裡添乗員和GUIDE是同樣的概念,不過我想就是領隊和導遊的區別吧,有差的。

和美帆一整趟旅程一直聊台灣日本就業情況還有慶應的事。實在是就業問題離我們都很迫切,我是還沒開始找工作,美帆則是拿到一個地方銀行的內定但很不想去,不過先不放棄一邊偷偷準備另一家船公司的選考。這時間還在招人好像是在等留學生的樣子。希望我們能夠做真正想做的工作!

2009年6月15日 星期一

『対岸の彼女』読後感

上級後期文章選讀的期末讀書心得。

『対岸の彼女』を読み終わり、小夜子の「何のために年を重ねるんだろう」という問いがずっと気になっている。生物学から見れば、それはすぐ答えられる質問だが、人間一人一人の人生からすると、自分の答えを見つけないと、本当に生きる力や希望を失ってしまう。

人は皆、今のままの自分になったのは、今までの出会いを通して成り立ったのだろうと私は思う。騙されることによって、人は人を信じなくなる。けれど一旦信頼できること、あるいは信じられる人が見つかれば、後ろに支えの力が感じられ、どんな困難な状況においても乗り切れるのだ。小夜子は、自分と同い年だが、経験と立場が全く違う葵と出会ったことによって、自分の人生を思い直し、最後に葵の会社に戻る。若いごろの葵も、もともと学校のグループからはじき出されるのを怖がっている気弱な高校生だったが、ナナコと出会って、初めて自分の大切さを知り、「大事なものさえあれば怖がるものはない」というナナコの信念を考え始めた。

高校生の葵はナナコと出会ったことによって大人の葵になった。小夜子は大人の葵と出会ったことによってもう一つの自分を見つけた。私たちの人生はまさに連鎖のように繋がっている。誰かの影響を受け、今の自分になり、また次に出会う人にその力を与え、変化させる。世界はこういった繋がりによって、様々な価値観、生き方が生まれ、パワフルで豊かである。もちろん、実社会では、その繋がりの影響と力はいい面もあれば、悪い面もあるが、「変化」ということ自体が、足踏みではなく前へ進んでいるということを示している。

個人の人生から見れば、いろいろな出会いを通じて、こんなに違う生き方もあるんだと、自分の中で今まで持っていた考え方と化学作用をし、その中から、自分の理想像に合う生き方を探し出し、それを目標として頭の中に置いておき、人生の次の段階に向かう時、悩む、迷う時、よりポジティブな態度で向き合えるのだろう。

今、留学中の私は出会いの大切さをしみじみと感じている。違う国籍、年齢層、職業、生活スタイルの人と触れ合い、自分との違いを受け止めながら、彼らの価値観、人生観の影響も受けている。今、自分の変化はなかなか実感できないかもしれないが、長い目で見れば、この一年間は少なからず自分の人生に影響を与えるのだろう。そして、私もまた次に出会う人にその影響を及ぼすのだ。

小説の最初に、小夜子の「私って、いつまで私のまんまなんだろう」という心細い気持ちが描かれているが、最後の章に、小夜子の「何のために年を重ねるんだろう」という問いに、自ら見つけた答え、「年齢を重ねるのは、出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。」という段落を読んで非常に同感だ。人生の面白さはまさにそこのところにあると思う。