2009年9月3日 星期四

日本での交換留学の一年間

今日は私の交換留学の最後の旅の最後の一日です。このスピーチコンテストのチャンスを通じて、自分の過ごした一年間を振り返ってみようと思います。

台北生まれ、台北育ちで、日本に来る前に、私はずっと台北で暮らしていました。留学の機会をいただいた時、興奮の気持ちは言うまでもなく、これから東京での一人暮らしに対して、緊張の気持ちもあり、この一年間しかできないことをたくさんしようという意気込みもありました。

一年間、学校の勉強に専念するだけでなく、学校外の活動もいろいろ参加しました。サークルの友達と一緒に合宿に行ったり、旅行にいったりして、日本の若者の活発、元気さを感じました。歌舞伎を見に行ったり、お祭りに行ったり、博物館、美術館に行ったりして、日本の多彩な文化を体験しました。東京生活の経済的な余裕がほしいので、バイトもしました。年末年始の時、郵便局での年賀状の仕分けのバイトによって、一年間お世話になった人びとに対する日本人の感謝の気持ちを実感しました。半年の定食屋のバイトによって、敬語の使い方のほかに、気遣い、思いやりの心も学びました。今回のホームステープログラムによって、ホストファミリーと一緒に生活をし、町にいる人たちと触れ合い、学校だけでは学べないことを学び、そして貴重な絆を結びました。

この一年間、自分はどのくらい成長したのか今のところはっきり言えませんが、いくつか大切なことを学びました。まずは、出会いを大切にすることです。一年間、違う国籍、年齢層、職業、生活スタイルの人と触れ合い、自分との違いを受け止めながら、彼らの価値観、人生観の影響も受けています。この世はいろいろな人、いろいろな考え方によって成り立っているので、違う人との出会いを大切にし、心と視野が広がり、一生の友達もできるのです。次は、思いやりの心です。日本で一年間生活する中で、日本人は常に相手の立場に立って物事を考えるのだということに気付きました。もうすぐ社会人になる私も、これからもっと他人の身になり、他人の気持ちを思いやるべきだと思います。最後は、やりたいことは全力を出して頑張ることです。大学四年生の時、日本に留学に来られることは想像もしなかったが、今はもうすでにもう悔いのない、充実した一年間を過ごしました。自分の本当にやりたいことに対して、努力を惜しまず頑張ることは欠かせないのだと思います。

長いようで短いような一年間ですが、思い出をいっぱい作りました。台湾に帰っても、一年間日本で学んだ経験を生かし、自分の人生を歩みたいと思います。最後ですが、自分の一年間の感想を皆に伝えるチャンスをくださった北海道国際交流センターのスタッフたちに感謝しなければなりません。どうもありがとうございました。

以上で私のスピーチを終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


(北海道寄宿家庭活動最後一天在函館國際飯店有演講比賽,這是我的演講稿。講後有台灣女生跑來跟我說她感動到哭,有個寄宿家庭媽媽說我是她心中講得最棒的。真的是志在把自己的感想說出來而已,還能有粉絲出現真是受寵若驚。)

2009年8月30日 星期日

「夏のつどい」

8/16~8/29我參加了北海道国際交流センター舉辦的寄宿家庭活動。這個機構辦留學生活動頗有規模及歷史,去過「冬のつどい」的朋友也說繳了費到北海道幾乎可以不用再花錢,於是在店裡晚班的福建女孩余醬一口答應讓我從離開宿舍8/7到8/15號間可以住她家之後,便速速報名速速繳費。最後在定額100名中以編號87號順利報名到。

第一天先坐船從茨城県大洗港至北海道苫小牧港,在船上睡的是大通舖,隨著船搖來搖去,一夜安眠的人不知有多少,但坐船的是很難得的經驗。上次從大阪坐到鹿兒島睡的是二等室,是上下舖,好睡一點點。第二天下午抵達札幌,之後為自由活動。因為札幌想跑的地方很多,於是和其他人分別行動,我去了羊が丘展望台、北海道大学、テレビ塔、時計台…。有名的花畑牧場專賣店也去了,生キャラメル冰淇淋是我吃過最好吃的冰淇淋。

第三天開始恢復團體行動,去了白老アイヌ民族博物館、昭和新山。下午開始巴士依鄉鎮分送我們至寄宿家庭。我被分配到的是七飯町,位在函館市的右側。被分配到七飯町實在是非常幸運,這個小鎮由於是北海道接待留學生寄宿家庭活動的發祥地,非常禮遇留學生,活動規劃之詳盡,十天左右的行程幾乎滿檔,全天可以和寄宿家庭相處只有兩天左右。這十天,我們21位留學生一起作日本料理(散らし寿司、そうめん、おそば)、做陶藝、體驗坐禪、茶道、欣賞神社的神樂演出、川和服、採馬鈴薯、採毛豆、泛舟體驗、拜訪無數間中小學以及保育園,還參加七飯町扶輪社的聚會。我和一位中國女孩住在種花的寺谷先生家,寺谷家非常乾淨,寺谷夫婦人非常和藹可親,帶我們去函館到處觀光,還帶我們去吃螃蟹。這十天寄人籬下卻住起來非常非常舒服。

兩個禮拜七飯町寄宿家庭生活每天都很充實。目前還沒跑遍全日本,但北海道已經是我心目中的第一名了!想起北海道如畫般的風景,廣闊的田地,離地面好近棉花糖般的雲,香濃的牛奶,好吃的冰淇淋,能在北海道長住一陣子不知有多好~!

北海道国際交流センター和三月參加的鹿兒島相比,更有規劃及組織。北海道所有留學生在最後一天還能齊聚一堂,參加Farewell party,和十天前分別的留學生再度相遇分享心得。我參加了最後一天的演講比賽,題目為自己一年的交換學生心得。最後獲得參加獎,還是有獎金一千元呢!

真心推薦北海道国際交流センター的活動給所有留學生參加!

2009年6月24日 星期三

HIS日帰りバスツア

和上學期的會話趴呢美帆參加HIS的Bus Tour。行程是:

5種のフルーツ食べ放題&干物つかみ取り!夏の房総 豪快海鮮どんぶり&あま~い白とうもろこし収穫

房總就是指千葉縣。簡單來說就是一個在千葉縣大吃特吃的行程XD一早八點四十分新宿集合出發,首先第一站是叫做海ほたる的地方,位在橫跨東京灣的アクアライン(連接神奈川縣川崎市和千葉縣木更津)大橋上,是一個可稍作休息的停車場兼綜合商場。在五樓以大海為背景拍張照後,下一個行程是一個叫小泉酒造的酒藏造酒場,在那裡試喝各式各樣的日本酒和燒灼。和美帆直呼一大早就喝酒實在太誇張了但還是試喝個不停。接下來終於的中午正餐時間。巴士帶我們到富津的一家日本料理店享用有七款不同種類的海鮮動。午餐後依然是美食行程,我們到了一個白玉米田試吃以及免費每人摘一根白玉米。白玉米意外地甜份很高不輸黃玉米。不過回巴士時日本太太們直說採到的白玉米太小。採完玉米我們到一個當地地產地銷的銷售點,先進行五樣水果吃到飽──西瓜、香瓜、奇異果、日本小葡萄、香吉士。日本人真的好客氣,每樣都吃了一下就歇手,最後還剩不少水果,我心想要是台灣人一定會用快一倍的速度清空吧。水果吃完試吃有花口味的冰淇淋,最後還讓我們一把抓干物甘魚帶回家!美帆說干物要用有烤魚網的鍋子處理,不過我沒有那種東西阿,現在干物還在我的冰箱裡。本來行程中有要參觀向日葵花田,不過好像錯過季節,所以臨時取消。天氣方面,其實從採玉米行程就開始下雨,在農產品銷售點時變成傾盆大雨,在東京好像還沒碰到這麼大的雨呢!接下來從金谷搭遊輪到神奈川的久里賓,一路上天候不佳海面一片霧濛濛。到達九里賓之後就換搭巴士六點半左右回到新宿。

HIS的巴士行程整體還不賴,不過中途巴士有發生小意外,司機轉彎沒看好後面,車尾撞到大柱子,後車燈整個被撞掉。HIS的解決方法是立即調另一台巴士接我們接下來的行程。除此之外整個行程雖然有添乗員,但只是告訴大家接下來的行程是什麼解點幾分集合。之前參加過HATO BUS是GUIDE,不只鉅細靡遺的介紹所有景點,沿途經過的路線和建築也都一一介紹歷史。美帆一開始就說在他的觀念裡添乗員和GUIDE是同樣的概念,不過我想就是領隊和導遊的區別吧,有差的。

和美帆一整趟旅程一直聊台灣日本就業情況還有慶應的事。實在是就業問題離我們都很迫切,我是還沒開始找工作,美帆則是拿到一個地方銀行的內定但很不想去,不過先不放棄一邊偷偷準備另一家船公司的選考。這時間還在招人好像是在等留學生的樣子。希望我們能夠做真正想做的工作!

2009年6月15日 星期一

『対岸の彼女』読後感

上級後期文章選讀的期末讀書心得。

『対岸の彼女』を読み終わり、小夜子の「何のために年を重ねるんだろう」という問いがずっと気になっている。生物学から見れば、それはすぐ答えられる質問だが、人間一人一人の人生からすると、自分の答えを見つけないと、本当に生きる力や希望を失ってしまう。

人は皆、今のままの自分になったのは、今までの出会いを通して成り立ったのだろうと私は思う。騙されることによって、人は人を信じなくなる。けれど一旦信頼できること、あるいは信じられる人が見つかれば、後ろに支えの力が感じられ、どんな困難な状況においても乗り切れるのだ。小夜子は、自分と同い年だが、経験と立場が全く違う葵と出会ったことによって、自分の人生を思い直し、最後に葵の会社に戻る。若いごろの葵も、もともと学校のグループからはじき出されるのを怖がっている気弱な高校生だったが、ナナコと出会って、初めて自分の大切さを知り、「大事なものさえあれば怖がるものはない」というナナコの信念を考え始めた。

高校生の葵はナナコと出会ったことによって大人の葵になった。小夜子は大人の葵と出会ったことによってもう一つの自分を見つけた。私たちの人生はまさに連鎖のように繋がっている。誰かの影響を受け、今の自分になり、また次に出会う人にその力を与え、変化させる。世界はこういった繋がりによって、様々な価値観、生き方が生まれ、パワフルで豊かである。もちろん、実社会では、その繋がりの影響と力はいい面もあれば、悪い面もあるが、「変化」ということ自体が、足踏みではなく前へ進んでいるということを示している。

個人の人生から見れば、いろいろな出会いを通じて、こんなに違う生き方もあるんだと、自分の中で今まで持っていた考え方と化学作用をし、その中から、自分の理想像に合う生き方を探し出し、それを目標として頭の中に置いておき、人生の次の段階に向かう時、悩む、迷う時、よりポジティブな態度で向き合えるのだろう。

今、留学中の私は出会いの大切さをしみじみと感じている。違う国籍、年齢層、職業、生活スタイルの人と触れ合い、自分との違いを受け止めながら、彼らの価値観、人生観の影響も受けている。今、自分の変化はなかなか実感できないかもしれないが、長い目で見れば、この一年間は少なからず自分の人生に影響を与えるのだろう。そして、私もまた次に出会う人にその影響を及ぼすのだ。

小説の最初に、小夜子の「私って、いつまで私のまんまなんだろう」という心細い気持ちが描かれているが、最後の章に、小夜子の「何のために年を重ねるんだろう」という問いに、自ら見つけた答え、「年齢を重ねるのは、出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。」という段落を読んで非常に同感だ。人生の面白さはまさにそこのところにあると思う。

2009年4月5日 星期日

鹿兒島homestay


かえで、ゆうら

3/13~3/29整整半個月我參加了NPOからいも交流這個鹿兒島辦的寄宿家庭活動,我被安排住在鹿兒島縣伊佐市菱刈這個地區的一戶酪農家--轟木先生家,也就是一個養乳牛的農家裡。菱刈這個地區這次收了四個留學生,一個泰國女孩是住在本城小學校的教頭先生(次於校長的地位)家,另外一個台灣女孩和中國女孩是住在犬童家。我們四人雖分住在三個家庭,但還是會常常一起行動,例如去本城小學或是參加公民館活動等等。

參加這個活動之前就抱著不是觀光而是要幫忙寄宿家庭分擔工作的心態,但轟木先生家幾乎都不安排工作給我,變成如果沒有其他活動的話,就只能在家陪轟木先生的孫子孫女們。話說我這半個月被誤認是轟木家媳婦不知道幾次了...。不過我很喜歡轟木家的大孫女楓(kaede),也許是獨生女的關係,楓是一個心思細膩卻也活潑外向的小女孩,她帶我去家裡周圍附近採了好多美麗的花、帶我去她的秘密基地、一起到處探險、一起做鬆餅等等。我發現一年級的小孩是所有小孩中最可愛的年齡,有一定程度的懂事,卻還未沾染事故的氣息。


整體來看,兩個禮拜還是做了很多很多有趣的事:參加熊本縣的品評乳牛大會、看母牛生小牛、幫忙道路工程鋪水泥、幫忙焼酎公司翻譯中文信件、幫忙犬童太太做便當、幫忙醃漬菜、去鄰近小學幫忙準備畢業典禮、穿和服、參加部落的賞櫻花活動...etc.吃了很多山珍海味:鳥さし(鹿児島限定!)、鹿さし、煮しめ、薩摩芋、さつま揚げ、かるかん、搾りたての牛乳、赤飯、伊佐米...etc. 還有很多很多瞬間的感動:和轟木太太談到家裡的問題,夫妻關係婆媳關係;和犬童先生太太談到接待留學生八年的心路歷程;在本城小學校裡觀察到日本的小學教育。這兩個禮拜中好多時候我都在刻畫著自己的理想家庭生活,也許能夠經營好一個家,就是一件很偉大的事。

在鄉下住了半個月,回到東京的晚上真的覺得格格不入,突然可以體會日本人"上京"的感覺,電車上的男人女人都打扮的好時髦,車廂內的廣告全部是我沒看過的,走在路上的行人都急促地紛紛趕往下一個目的地。前一刻我不是還待在手機沒有訊號山裡嗎?此時又是隻身一個人扛著行李回到宿舍。像是回到現實了一般。

2009年2月15日 星期日

尋找打工記

日本年末年始郵局短期打工結束之後,我就下定決心要趕快找別的長期打工。剛好來日本快要五個月,春假又長達兩個多月,還記得一月一號跟陳梅爾說又要鼓起勇氣找打工了,陳梅爾說當然要鼓起勇氣囉。

據說二月大學生放假之後會比較難找,於是我的目標就定在一月內要找到。開始在車站拿TownWork雜誌研究,發現隨著地段不同薪資都有差。我打定主意找定期卷上的店家,這樣交通費還可以小賺一點。

一開始在網路上看到一家咖哩烏龍麵願意收外國人,結果隔天對方打來一問我在日本待多久,老實的我就說到七月為止,說完馬上被拒。心想再接再厲吧!當天晚上一鼓作氣馬上又打電話到位在大手町的大戶屋,店長二話不說馬上跟我約下禮拜面試時間。

面試前很緊張,首先是履歷表很謹慎的填寫完,前一天又自己去場勘,發現丸之內大樓那地方真的很棒,旁邊就是丸善書店總店,附近又有小飾品店藥妝店,地下一樓還有台灣休閒小站!

面試當天店長一直看著我可以工作的時間說どうしようかなあ,還一度建議我去學校附近的分店應徵,因為我的時間好像沒有補到店長需要人手的時間。但是,抓住日本人想說NO卻又說不出口的曖昧心態,我使用僵持策略,堅決不說出そうですか…,總覺得一說出來就輸了。問店長是不是能夠在平日上班會比較好,如果是的話我下星期XXX開始考完試就可以來,春假開始之後時間也會比較多。店長終於曖昧地也沒說YES,就問我的交通費多少,然後下星期X帶資料來登錄。

於是我知道我被錄取了!心中喘了一口大氣。隔了一個禮拜,我帶齊所有資料去登錄包括資格外活動許可(這東西花我很多車費和時間),副店長說資料報上去後會再打電話通知我出勤時間。結果我等了一個禮拜沒接到電話心裡覺得很怪,到處問有經驗的人這是不是常態。日本朋友說不知道,南京姊姊說直接打個電話過去,我爸老友大島夫婦說"不要抱希望了,詠清你一定可以馬上找到其他工作的"。後來我鼓起勇氣打了電話給大戶屋,副店長用一種不是很客氣的態度跟我說抱歉,然後又說明天或後天會再打來,結果我沒有等到電話。

這一個禮拜等電話的焦慮游小妞最清楚了,幾乎是從她來日本到她回台灣,每天都陪我守在我的手機前,深怕漏接任何一通電話。不過拖大戶屋不跟我聯絡之福,得以陪換到史上最高匯率台幣0.38對日幣的游小妞一起全程探索東京。結果游小妞回家隔天大戶屋打電話來了!不過卻是說我的存摺有一個非居留者字樣的印章,所以無法匯錢下來,要我趕快去辦其他家銀行的存摺。

二月四號立春,為了大戶屋一早我去三菱UFJ辦新存摺,排隊等到天荒地老終於存摺下來,一翻開非居留者那幾個字樣的章又出現了!豈止是欲哭無淚可以形容,銀行員說滿六個月之後可以來消掉那個章,但我要到三月八號才會待滿半年...。不過我心理其實已經放棄大戶屋,因為南京姐姐主動說可以介紹她朋友之前問她要不要去的打工給我,就在辦完存摺的那個下午馬上和福建出身吳桑約見面帶我去那家店(黑瓢簞是也)。一路上穩重的吳桑說可以不用馬上下決定,跟店長聊聊看時間還有看看店裡長怎樣再決定也不遲。結果跟痞子店長一談完速戰速決馬上約隔天上工,所有資料也是隔天再交就行。

畢竟為了大戶屋辦了新存摺,還是要再去問問看狀況才行。傍晚到大戶屋和店長碰面,店長說有那個章就撥不下錢來,兩條路可以選擇要我再試試看信用銀行,或是滿半年之後再開始工作。我到後來學日本人很委婉的說"如果人手沒有不足的話我就...",後面自動省略因為日本人一定聽得懂。結果店長說唉唷好不容易你這麼想來,就去問問看信用銀行或是半年後再過來吧。(我跟南京姊姊都覺得是建前<--場面話)

大戶屋再見(揮~),我另外已經找到工作了不想跟你耗囉!也就是二月四號去大戶屋問狀況為止我預設我可能會double work,這其實不算什麼對留學生來說,不過大戶屋那個很不果斷的中分頭店長,還有什麼都要聽上面的制度,讓我一踏出大戶屋門口馬上決定專心待在我的新歡小小居酒屋。這兩家店整個氛圍差很多,大戶屋店長什麼事都要聽上頭行事,小小居酒屋其實上面也是有公司,但店長有獨當一面賞罰分明的氣勢,可以用自己的一套經營店面,然後兩個店長的氣勢也差很多,痞子店長的阿殺力性格我超欣賞。

也許是有跟店長稱兄道弟的吳桑罩吧,還有我不想丟臺灣人臉的自尊心,到今天為止都還沒有被店長罵,反而受到許多關照。之前韓國中國朋友都跟我說,日本人店長對外國人表面上好,但仔細觀察和對一般日本人還是有差。至少我到現在沒有感受到,痞子店長還很愛跟其他留學生(男)抱在一起,私下又愛說一些自得其樂的玩笑話。不過"工作上是鬼,放鬆時變蟲,"這句話形容他再貼切也不過。

能夠繞了一大圈找到這家小小居酒屋,碰到裡面對我很好的店長和阿姨,一定要更努力才行!

2009年2月12日 星期四

金沢旅行記


二月八日、夜行バスに八時間くらい揺られて無事に金沢に到着。どこでもよく眠れる体質なんだけど、ちょっと考え事があったんで金沢までほとんど寝ないでいた。十一時くらい新幹線組と合流し、噂の忍者寺-妙立寺へと向かった。妙立寺に入る前に、外で積もった雪を発見!人生初めて雪を見たので、大興奮だった。台湾は高い山しか雪は降らないから、南国出身の私にとって雪が見られるのは夢のように非現実的なことだ。妙立寺で人生初の雪だけでなく、寺内で秘めている複雑な仕掛けが一つ一つ解けるにつれ、幾度となく思わず声をあげた。

午後は尾山神社と武家屋敷をめぐった後、皆と一緒に加賀温泉駅に向かった。今回の温泉宿は人生で二回目。温泉から上がってから、ビールを飲みたくなったけど、残念ながら、自販機は売っていなかった。夜行バスであまり眠れなかったので、部屋に戻ってからすぐ眠りについた。

二日目、観音様を祀る静かで荘厳な那谷寺をめぐり、午後はレンタカーで福井県の東尋坊と永平寺に行った。東尋坊で遊覧船に乗って沿岸の断崖絶壁と日本海の景色を楽しんだ。永平寺で妙立寺よりもっとボリュームの多い積雪を見た。階段と屋根が雪に覆われたのを見ると、なんとなく心がすがすがしくなった。違う雰囲気を持つところが回れて嬉しかった。レンタカーのドライバーたち、ありがとうございました!

三日目、朝金沢駅に戻って、まだ行っていない金沢の観光スポットを制覇する予定だった。まずは不思議なプールのある21世紀美術館。さすが一番有名な展示品で、上から見ると、人がプールの中で歩いているように見えた。実際、水は二枚のプラスチックにはさまれ、目の錯覚を引き起こすんだ。


美術館のあとはいよいよ兼六園。兼六園はどこに行ってもシャッターを押す指が止められないほど美しかった。茶屋でゆっくり一息つき、東茶屋街へと向かった。「志摩」というお茶屋で見学し、「素心」で甘味を味わった。のんびりと散策しているうちに、日が暮れ、私たちも人気の少なくなってきた東茶屋街を後にした。

新幹線組とお別れをし、ライトアップを見るためにもう一度兼六園に行った。寒かったけれど、雪吊りされている松がいっぱいで、とても幻想的で美しかった。

今回降っている雪が見られなかったので残念だと思うんだけど、金沢旅行は本当に楽しかった。時間を無駄にすることなくお腹もいつでも満たされている状態で、行きたいところがいっぱい回れ、二泊三日はちょうどよかったと思う!